【チャリで行った】4日目② 彦根城と琵琶湖
彦根駅から目と鼻の先に先にある、ひこにゃんやおんな城主直虎の井伊家で有名な彦根城にむかう。
世界遺産の登録に向けてかなりの力の入れようで、周囲から城郭内部までかなり整備されていた。全国定期に有名なゆるキャラひこにゃんの効果か朝から訪れる観光客もかなり多い。これだけの大きさ(幅?)の堀ってなかなか見られないはず。
というわけで本丸までの長い階段を登っていく...が、意外と長い。自分の歩くスピードはかなり速いはずだがそれでも石垣まで10分近くはかかっていたはず。防衛の観点からみれば敵が本丸まで到達するのに時間を稼げるので理にかなっているが、観光地となった今、足腰の弱い人は本丸までたどり着けないのでは?そこから城の最上部までさらに階段があるけれど
本丸に到達。ここまで上がってこれば相当遠くまで見渡せる。さあ天守閣まで登ろう。
琵琶湖、湖岸、そして彦根の町を一望。曇天だけど見晴らしは格別。あれだけの階段を登ったかいがあった。ただ、琵琶湖からの風が強いく肌寒かった。
そんなこんなで1時間以上も場内を探索した後、下山。ここまで3日以上ぶっ続けでっペダルをこいできた足にも登山はこたえた。...と言いつつも城下をふらふら散策しているあたり旅行時の「非日常テンション」で疲労を感じにくくなっていたのは事実。
散歩がてら、琵琶湖の湖畔に立つ。数センチほどの小さな波が打ち寄せる以外はとても静かだった。対岸が見えないところに雄大さを感じる。本当は1時間以上いてもよかったが、今にも雨が降ってきそうな暗い空、そして徐々に強まる風にギブアップし、出立。
その風が「琵琶湖湖畔サイクリング計画」を大きく狂わせた。というのも、自転車が進まない。車体が煽られてスピードが出ない。仕方なく、かなり湖から離れた県道まで、疲労困憊になりながら戻った。
すると見えてきたのがこの石垣。安土城の跡らしい。ちなみに本丸はここから石階段を登った山の上にあったらしいです。
県道の向かい側にあったのが「安土城天守 信長の館」と、再現された天守閣のミニチュア。ほんとに八角形の天守が山の上にあったのかなあ...?
昼以降、曇天が続く。近江八幡駅の横で食事(何を食べたか思い出せない)を取った後はひたすらJR線沿いの県道を道なりに進む。東岸の平地は道路が格子状になっており、岡や川のなど自然による障害物がなければ、起伏のない直線道路が多かった。
守山、草津を通り過ぎると間もなく琵琶湖南端、瀬田川が流れ出る大津市に入る。「瀬田川」は滋賀県内での読み方で、京都府では「宇治川」、大阪府では「淀川」と県にが変わる度に出世魚のように名前が変わる。3度も名前が変わる川、ほかにないのでは?
その琵琶湖南端から少し離れた直線の近江大橋をイオンモールを横目に渡る。車は多く通れど歩道を歩く人はまばら。雲がより一層暗い色に。悪い予感。
次琵琶湖の湖畔に来るときは...風の弱い、晴れた日にしよう。出来ればデッキチェア、ラジオとアルコールをお供に。
そんなことを考えていた大津のデパートを出ると、土砂降りの雨が。
やはり雨雲が行く手を遮っている。しかもここからは東海道屈指の難所・逢坂山なのに。
上の地図をご覧いただきたい。右上の琵琶湖湖畔が大津市、左が京都市の中心街で、黄色い矢印が国道1号上の約5kmほどのルートだが、その途中に二つの山が衝立のように存在している。東の赤丸が和歌で有名な逢坂山、中間に山科(やましな)を挟んで西の水色の丸が清水寺がのっかる東山である。その2つの山の斜面を上り下りして京都にたどり着くのだが、ただでさえ坂なのに前述の雷雨で路面が滑りやすくなる、夕方の雨で体温が下がる、テンションが下がる(つらい)の3重苦なのだ。あと山科が京都府って知りませんでした。
でも挑戦は明日、とはしたくない。明日雨が上がっている保証はないし、抜けるのに1時間もかからないはず。それに大津よりは京都のほうが宿泊場所や駐輪所が多いはず。雨脚が弱まったのを見計らってシュッと抜けよう。そう思いながらデパートから悲しい子犬のような目で外を眺めていました。
(後日この選択を取ったことを少し後悔しました。琵琶湖の朝日を堪能してから余裕をもって逢坂山を越えたほうが体力と精神的ゆとりがあって楽しいものになっていたはず。旅先だと時間のプレッシャーで先を急いでしまう癖があるんです。)
また雨脚が弱まる。少し空が明るくなる。チャンス。一気に浜大津の駅から直線に延びる道路を1号へ。
そしてこんなド田舎みたいな山道を降りしきる雨の中(また雨脚が強まってきた。本当に山の天気はよく変わる)へこへことペダルをこぐ。並走するのは京阪電車の京津線。乗り入れる京都市内では地下鉄、山科から大谷付近では最大61‰の急勾配を行き来する山岳路線、そして浜大津付近では道路の上をゴロゴロと走る路面電車の3つの面を持つ多重人格者な路線。こんな路線も珍しい。
日が暮れる前に京都府内に入ることができた。びしょ濡れになりながら山科を駆け抜ける。
そして東山トンネル(たぶん)を抜ける。(歩行者禁止の看板がありますが自転車でこのトンネルを突っ切ってしまいました)
緩やかな下り坂。見えてくるビルのジャングル。特徴的な形のタワー。ついに京都市中心部に到着。安心したのもつかの間、びしょ濡れのまま某ファストフード店に「侵入」し雨水を絞り出し、その場で某カプセルホテルをおさえてチェックイン。すぐに服を脱ぎ洗濯機にぶち込む...と京都到着を楽しむ間もなく慌ただしく次々とやることを処理していった。しかもwi-fiが貧弱すぎてカプセル内に来ない…
やはり雨の中の行軍で体力をかなり消耗していたようで、洗濯物を乾燥した後はその日いつ眠ったかも覚えていない。ただ、当初は途中で挫折すると思っていたのがあれよあれよと京都にまでたどり着けたことの達成感がはるかに大きかった事だけは強く覚えている。
(つづく)
【チャリで行った】4日目 大垣ー彦根
4日目。
ついに雨が降った。出たとこ勝負でろくな防水対策をしていなかったが、幸いにもポツポツ程度の降りだったのでそのまま出発。今日の暮れには京都に着けるか?
出発してさっそく完全に趣味の領域の寄り道。東海道線の枝分かれ部分に向かった。
大垣からは東海道線の支線である美濃赤坂線という超ローカルな線が分岐している。さらに荒尾駅付近の南荒尾信号場からは東海道線が二股に分かれており、北方にうねうねとした挙句関ヶ原で合流する、通称垂井線がある。ちなみに皆様が乗る普通電車はここを通らない。なぜこんなうねうねな線があるのか?というのは...詳しくはこちらのWikiで
地図右の大垣から出てまず荒尾駅に向かい、少し北にある終点の美濃赤坂駅に行ってから黄色にハイライトされた垂井線を見て回ろうという算段。さいわい雨はおさまりつつあった。
短いホームの駅に2両編成の車両がゆるゆると入って、出発する。大動脈の東海道線でもレアな単線区間。
そして美濃赤坂駅。木造駅舎に広々とした場内。かつては大量の荷貨物をさばいていた場所と思わしき、長い三角屋根が覆うホーム。
ここも昔は赤坂宿という宿場町でした。とはいえ、「中山道の赤坂宿」で、実は東海道の方にも赤坂宿はあります。ただし場所がちょうど昨日通った愛知県豊川市付近(紛らわしいですね)。宿場の町が残っているからこそ東海道の支線が未だ旅客線として残ってるのかもしれないですね。
あと東海道線とありますが、実は旧東海道は名古屋の熱田からは桑名、四日市、亀山、甲賀を抜けて大津を通っており、三重県や滋賀県を通るのです。岐阜から大垣方は中山道を通っているんです。私自身も昔勘違いしていました。
西方に少し移動すると、また架電線と単線が。
これが垂井線。要は下りの貨物線。特に時刻表等を調べたわけでもないので何がいつ来るかわからない。酷ければ数時間何もないところで待ちぼうけを食らうかもしれない。そんなことを考えつつぶらぶらと(特になにもない)周囲を散策していた。すると15分後、踏切が鳴り始める。そして
貨物列車が通過。
それを見送る。そして踏切を後にした。向かうは関ヶ原。ついでに少し離れたところまで「競走」し、編成が一枚におさまるように撮ってみるが
編成が長すぎた。でもこんなところで撮るのも珍しいので、まあ満足。
関ヶ原に到着すると雨脚がむしろ激しくなり、さすがに傘をさして自転車をこぐわけにもいかず、持ってきたカッパを羽織る。前カゴに乗せたリュックには大きめのビニール袋を上から被せて、ひと際木陰の多くなったと道路を進んだ。
結局関ヶ原の古戦場はほとんど見学できずに雨の中を進む。不破関所に至っては場所さえも正確にわからず通過したようなものだった。さらに関ヶ原付近は東西連絡のボトルネックといわれるほどの山がちな地形のため、アップダウンが多く見通しも決して良くない箇所が多い。
その(ほぼ)山道のなかで滋賀県に入る。(...この溝?が国境らしい)
旧中山道通りに進み、柏原宿や上のような心細くなるような暗さの道を通り
どういうわけか道路に迷い込んだ蟹さんを踏まないようにすすむと
土地が開けて、新幹線の高架が見えてJRと交差。ということはここは米原。琵琶湖湖畔に近づき、山岳とはお別れである。
激しかった雨もこのあたりでほぼやんだのでカッパを脱ぐ。本当に山の天気は険しい。
米原から南下し、歩行者用トンネルを抜けると琵琶湖が見えてくる。ここが彦根。時刻は午前10時前。ここまで朝飯を食ってなかったことに気づき駅前で調達した後、湖を一望できる箇所を探すと...あった。彦根城。
(つづく)
【チャリで行った】3日目② 名古屋ー大垣
54階建て、高さ254mのJRセントラルタワーズを見上げていたのが午後3時くらい。
庄内川を渡り夕日が住宅地を照らす中、織田信長の居城だった清州城が見えてくる。
濃尾平野にそびえたつ城。とはいえすぐ下に堀が。
そのまま東海道線と並走し一宮や岐阜方面へ進んでもよかったが、気まぐれで何となく新幹線の線路の隣を進む。新幹線は岐阜市内へ行かず、西方にある大垣市へショートカットするようなルートを取るのでその方が早く遠くへ行けるのでは、と。
名鉄尾西線と交差。二両編成の電車が田んぼと住宅の間をゴトゴトと通過する。
そろそろ木曽川あたりにぶちあたるだろうな、と思いながら手元のスマホで地図を見ていたら気になる点が。なんと川を横断するように道が続いているではないか。ひょっとして...モーセのように水を割って進めということか?
どういう事かと思い愛知側の河岸にいくと「愛知県営西中野渡船場」とある。
「水面利用者の皆様へ」
「当該地は、西中野渡船場(県道)になっており、一般自動車の乗り入れは、禁止されています(以下略」
え、渡し舟が県道扱いなの?自動車はダメでも自転車なら渡れるってことよね?船頭さんにものすごい訝しがられるのは承知の上で向こう岸までいけるんじゃないか?と思いつつ周囲を見ても、そこは小さなハシケと小屋、後ろに木曽川が悠然と流れるだけで人っ子一人いない。どうも遅すぎたらしい。日中に来とけばよかった。おもんない。ちくしょー。
仕方なく木曽川を渡れる橋まで、すでに暗くなった中を移動するしかなかった(しかも渡船場から2㎞も離れていたので空しさが倍増)。
それにしても、西中野渡船場はナニ〇レ珍百景等もっとメディアでも青森の階段国道ばりに取り上げられてもいいはず。渡し船とか絶滅したと思っていたし。
一応参考までに:
轟音をあげて爆速で橋梁を通過する新幹線を横目に岐阜県羽島市に入る。
田舎に突然現れる光の長い帯が岐阜羽島駅。駅自体はそこそこ大きいのだが、周辺がビジホくらいしかない。この付近のナントカとかいうレストランで味噌カツ御膳をいただく。でも名古屋の味噌ってどうして過度に甘じょっぱいのか…
そして大垣市に入る、、、も、実は宿をとることを全く失念していた。いちいち探したり予約の電話を入れるのが面倒くさくなったり、ぶっちゃけ横になれるなら何でもいい、というか安上がりにしたい、という考えから某ネカフェに入りブース席でゴロンと横になって夜を越しました。
注:自転車で旅行しているので当然体力を消耗します。気持ちは昂っているかもしれませんが身体にはしっかりした休息が必要です。上記のようにネカフェで横になるのは翌日多分こたえますのでよいこのみんなや体力に相当な自身のある方以外は極力やらないようにしてください。というよりこんな発想になるやつはたいていしょうもないバカです。あんまりまねしないでください。いいですね?
(つづく)
【チャリで行った】3日目① 豊橋ー
3日目
出発してから3日連続の晴天。天候に頭を悩ませなくても済むのは嬉しい。ビジホの朝食ビュッフェをたらふく食べたのでもりもり動けるはず。
午前8時くらいに出発。今日まずは少し北にある豊川稲荷に向かう。豊橋と豊川、一続きの市街地を走ること30分。
稲荷、なのでどでかいキツネが祀られているんだろな、と想像しつつ参拝。
著名な神社とあって門前町は立派だし境内は広い...が。
奥に進むと
山に。大小何万体の。石造りの。キツネが。びっしり。
あまりにも衝撃的で写真を撮り忘れた。(撮らなかったのがいいのかもしれない)興味のある人は是非とも行ってみてください。圧倒されますから。
お稲荷さんも味見。甘いのが身に染みる。
昨日までの2日間は基本的にJR東海道線と並走する道路を走ってきたが、豊川からはより内陸にある名鉄線沿いに行くことになる。国道1号も名鉄本線と並行している。
本宿付近。のどかな里山と田園地帯を国道とスカーレットの名鉄電車が貫くようにのびている。今までだったら来れないようなところ、見られなかった風景に視線が右に左に大忙し。
すると
「藤川宿」とある。聞いたことがなかった宿場町。だがすでに通った由比、岡部のように
旧宿場町として遺構が再現されていたり、あまり開発せず街道の趣きを残したりしてあった。
ほどなくしてオカザえもん、岡崎城、徳川家康...で有名な三河のホットな大都市岡崎に到着。もちろん岡崎城見学は欠かせない。
城下の公園や石垣もすんごいきれい。
天守閣に登ると市街地が一望できる。町並みと矢作川、それにかかる鉄道や道路の橋などのバランスが良かった。
岡崎を後にし北西に進む。田園地帯だった豊川、本宿付近とは打って変わって、開けた平地の中を進む。
桶狭間古戦場(伝説地)。もちろん寄り道。
どうもここがあの今川義元の墓所らしい。普通どこかの寺院に埋葬されるのでは?と思って調べたら静岡市など数か所に首塚や墓があるらしい。とりあえず教科書通りにいけばここが義元が打ち取られ、戦国史の転換点となった地。
大都市名古屋らしく沿道にマンションやレストラン(たいてい味噌料理かきしめん)が多くなってきた。実はここでまた迷子になってる。高速の下を行ったり来たり、大都市特有の「広いけれど両側がビルなので結果ほぼ同じに見える」道を何往復もしたり...2時間程度迷っていると、
大きな土地に林に大きな鳥居。熱田神宮にたどり着いた(というか、着けた)。
これまでパンクや故障もなしに名古屋まで来られたことに感謝し、また今後の度の安全を祈願しつつお参り。そして
(つづく)
【チャリで行った】2日目③ 浜松ー豊橋
浜松駅を出発したのは15時。数km走れば鰻で有名な浜名湖が見えてくる。はず。
舞阪駅付近では茅ケ崎で見たような松並木が再び。並木を抜けると…
浜名湖を渡る橋でJRと並走。(上写真では静岡方を向いています。たぶん)
橋の間の島に浮かぶ弁天島駅。高架下の駅入口には独特の雰囲気が漂う。島を挟む道路・鉄道の橋と行き交う列車をしばらく眺めたのち再出発。
隣の駅は新居町駅。旧新居関所のある町。箱根関所を出て約30時間で約180km移動した。江戸時代の飛脚と比べて...どっこいどっこい?(昼夜等細かい事は考慮してません)
閉館時間が迫る中新居関所資料館を見学。
うん。入口の門からわりとしっかり再現されているし内部の資料も充実。見学者数が箱根よりも少なかったのは夕方だったから?でももっと宣伝されてもいいかなと感じた。
そして新所原駅付近でついに愛知県に突入。箱根峠から新所原まではるばる200km弱を一日半で駆け抜けた。ふう。そして日が暮れてきて少し肌寒くなってきた。
ここから最寄りの町は豊橋だ。
新所原から意外に距離があったものの、日暮れからほどなくして豊橋駅に到着した。今日はここでビバークビジホに宿泊。たっぷり寝ましょう。
(つづく)
【チャリで行った】2日目② 金谷峠ー浜松
大井川を渡ってJR金谷駅へやってきたが、地図を見てある事実に直面。
それが、ここには台地があってそれを越えなければ西へ行けないという事。いちおう迂回はできるけれども距離がある。 結局しぶしぶ金谷駅裏手の急坂を登る事にした。ん?急坂といえば...
ここでもバッテリーの力を借りて...と目論んでいたが、前日から少しずつ蓄積された疲労で思うように足が回らず、休み休みで登る。一回に進む距離、約10m。直射日光が容赦なく照り付ける。思い出される、昨日の箱根八里の坂…
ただ、坂を上り切って振り返ると、風景は素晴らしい。
茶畑が広がる斜面。金谷の町並みと、山との狭間を走る鉄道。大井川。そこにかかる橋。視線を右にやれば駿河湾。左に向ければはるか南アルプスへと続く山脈。はるか遠くに富士山(ただし写真では霞み過ぎていて確認できず)。静岡県のほぼすべてを一枚におさめられたのでは、とひとり満足して茶畑の間を進む。
大地の上は平坦な茶畑。
そこに妙に近代的な建物が。「お茶の郷」日本茶をPRしている施設らしい。
せっかく来たんだし、「抹茶ほうじ茶アイス」をいただいた。甘さと渋さのコンボが火照った身体にしみる。おいしかった!
登りがあれば下りがある。菊川駅までは再び坂を下る。ペダルをこがないのは楽だ。
そしてほぼ惰性でこぎ続け、正午過ぎに掛川駅に到着。
新幹線も止まる駅だけど、そこまで賑やかではない...し、見どころもない(失礼!)のでソロソロと通り過ぎた。
依然としてオフロードショップの多い1号線を西へ。時々、旧東海道をしのばせる石碑が。
袋井、ジュビロで有名な磐田を通り過ぎると再び大きな川が...
天竜川。大井川と並んで静岡県を代表する川。またもやスパンの長い橋が。(後で調べたら912mもあったらしい)
この時点で時刻は14時半。日暮れまでには愛知県に入れるかもしれない。それにしても...おなかすいたなあ...
(つづく)
【チャリで行った】2日目① 静岡出発
2日目。
午前6時半、ふらりと目を覚ます。昨日あんだけ自転車こいだのに、特に身体に痛みを感じない。筋肉痛もなく、股ずれもしていない。少し疲労感は残るけど何とかなるだろう。自転車のほうも昨日立ち寄った自転車屋で空気を入れなおしてあり、異常がない事を今朝確認。
夜中に出発した昨日とは違って既に日は高く登っている。チェックアウト後、目と鼻の先の駿府城公園を少しうろついたのち(石垣以外特になにもなかった...)、駅前から国道1号を西方へ出発。この日も晴天、気温もちょうどよい。
さっそく安倍川を渡る。一枚目が相模川のときと構図がそっくりですが、「駿河大橋」とあるので別の写真です。それにしても貨物列車が通るときばっかり撮ってる気が...
川を渡り切ったあたりで国道1号は海岸沿いの南に向かう東海道線と別れ、内陸の方へ。再び長い上り坂に差し掛かるが、箱根ほどのこう配はなくスイスイと上がることができた。
岡部バイパスを通り宇津の谷峠へ。この付近に明治時代のトンネルがあるらしくちょっと興味をそそられたが、徒歩で山道を登った先にあるらしく見学するのはパス。
ついでに朝飯もこのあたりで。なぜか親子丼。
峠を貫くトンネルを抜けると焼津市に入り下り坂になる。旧東海道は岡部宿を通り、藤枝市に向かう。
藤枝付近ではバイパスになっている1号を避けて市街地を通る県道(何号かは忘れた)の歩道を走行。オフロードショップが道の両側に多く並ぶが、これといった特徴がない、「地方によくある幹線道路」をトロトロと走行し、大いなる大井川の東岸の町である島田市の中心部へ。
旧東海道沿いに大井川川越遺跡と称して、ここにも江戸時代の様子が再現されていた。古民家風のカフェも数件発見。
そして大井川に出る。とにかくでかい。対岸が霞んで見えるほどに川幅が広い。さらに橋までかなり距離がある(実際には橋の袂まで数百m程度でした)。
その大井川橋を渡る。この地点でも河口からなかなか離れているものの、この橋自体が1000m以上のスパンがある。大井川の大きさを痛感しつつ渡りきると
大井川鐡道の本社がある新金谷駅に到着した。珍しいターンテーブルもある駅。
(つづく)